2024/07/29 08:53
お読みいただきありがとうございます。
川田浩美と申します。
現在、キャンドル製作、販売、キャンドルワークショップ、
人生を変えるアロマセラピー講座、経営ゲームを開催しています。
一見何のつながりもないように見える私の提供サービスですが
「心が動くこと」をモットーにしています。
そもそも私は、ザ・左脳的思考人間で
何かやりたいこと、行きたい場所、会いたい人がいても
「それやって、何か意味あるかな?」
「仕事につながる?お金稼げる?」
「どんな価値がある?役に立つ?」
的なことを考えて
「…まあいいか、やめとこう」というパターンで
生きてきました。
これを私は「心がケチ」と表現しています( `ー´)ノ
でも、昔っからアロマが好きで
あと料理や刺繍など「作ること」も好きでした。
じぶなので、そんなにお金はかけないけども
ちょいちょいやってはいました。
ただ、それを仕事にしようなんて思ったことは一度もなく
単なる趣味として楽しんでいました。
当時の私は(無意識ですが)
学生の本分は毎日学校に行って勉強すること
社会人になったら正社員として働いて納税すること
ある程度の年齢になったら結婚して子どもを生んで育てることが
当たり前、普通の人生、幸せの王道だと思っていました。
そこから外れること=不幸せ、とまでは言いませんが
幸せと言い難い…くらいには思っていたと思います。
(無意識に、です)
そんな私が、心理学に興味を持ち
臨床心理士になったのは不思議としか言いようがありませんが
心の奥底で、そういうのは本当の幸せを意味しないということを
なんとなく感じていたのかもしれません。
話を戻しますが、幸せの王道(と思っていた道)って
学校の勉強がある程度できれば
手に入れることはそんなに難しくないのです。
ただ、学校の勉強ができる=心身がめざましく発達する多感な時期に
自分の興味関心はほどほどにして、机に座ってひたすら暗記勉強をする能力が高い
ということでもあるので、それってどうなの?と今となっては思います。
とは言え、少女ひろみ(←私のこと)は、幸か不幸かその能力はありまして
幸せの王道(と思っていた道)をまっしぐらに進みました。
高校なんて、受験のためのカリキュラムで
夏休みもほとんどなく補習、補習、補習!
なんなら美術とか音楽の授業なんてないですからね。
すごいですよね。それでいいのかと思います。
でも、高校生の私は、大学へ行くことが次の目標だったので
日々のつまらない授業や補習を面倒くさいと思うことはあっても
「これが今自分がやることだ」と信じて疑わず
淡々とこなしておりました。
なんのために大学に行くのかなんて考えもしませんでした。
そりゃ、心がケチにもなりますよね。
こんな時に、海に行きたい、推しのコンサートに行きたい、
あれやりたい、これ欲しいなんて思っていたら
勉強なんてできませんから。
そういうのは感じないように、目を向けないように
本当に無意識に蓋をしていたのかもしれません。
自分の喜びを感じないようにしていたのかなあ…
ちょっと端折りますが
そんな私が心理士として病院で患者さんのカウンセリングを
するようになるのですが、
うまくやれるわけがありません。
そもそも、学校に行かない=人生が終わる
くらいに思っていた私に
「学校に行けないんです」
「自分を傷つけてしまいます」
なんて人の気持ちがわかるはずもありません。
わかろうと努力はしました。
でも、やっぱりどこかで「そんなことしても何の得にもならないよ」って
思ってる自分がいて
でも、表面的にはいわゆる「受容と共感」で
「つらいですね」「そんな風に思っているんですね」って
話を聴くことが、本当に苦痛で。
それこそ、こんなやりとりに意味があるの?
って思ってしまって
そんなことを思いながら仕事をするのは本当にしんどかったです。
自分にはもっと勉強と経験が必要だと思って
色んな研修に出るのですが
周りの心理士は、誰一人そんなことで悩んでいるように見えない
けど、じゃあみんなそんなにちゃんとカウンセリングできてるの?
ってなると、そんな風にも思えない
なんで?って思っていました。
今振り返ってもあの時期は本当に苦しかったです。
考えてみると、当時私が抱えていた苦しさは
患者さんたちが抱えていた「どうにもできない苦しさ」と
リンクしていたのかもしれません。
その後、結婚を機に仕事をやめて
夫の仕事を手伝うことになります。
苦しかった仕事から正当な理由(結婚して夫を手伝う)で離れることができ
一見、悩みは終わったかのように思えました。
が、そうは問屋がおろしてくれないのです。
私自身は、一見何の問題もなく幸せに生活できているようなときでも
漠然とした不安みたいなのがあって
「このままでいいのかな」としょっちゅう思っていました。
でも、それはまだ「気のせい」と無視できていました。
結局、自分の問題から目を背けていると
自分の外側に問題が起こるんですよね。
結局色々と自分以外のことで悩むようになります。
それに関しての詳細は、関係する人たちもいるので
不特定多数が読むこのブログには書きませんが
外の問題にめちゃくちゃ振り回される日々が続きました。
結論から言うと、その外側の問題は不本意な終わり方を迎えました。
「ああしかできなかった」と思う反面
「何かやれることはなかったのかな」「もし、こうしていれば」などなど
色んな思いが今でも私の中に残っています。
その問題が不本意な終わり方を迎えてしばらくは
私自身、廃人のようになっていた時期があり
記憶もほぼない感じで、ところどころは覚えているのですが
ぼんやりテレビの前に座っていた時期という記憶が強いです。
それから何年もたって
外側の問題に振り回されていた時期の自分について考えたことがありました。
当時の私は、その問題を解決するために「どうすればいいか」「何をすればいいか」と
DOにばかり目を向けていていました。
それは、その問題を抱えることになったつらさや悲しみ、ふがいなさ、無力感といったことを
感じ合ないようにするための「DO」でした。
感じたくなかったんです。
自分のダメさ加減とか、何もできない自分のふがいなさ、無力さを。
それで必死に「DO」に明け暮れてましたけど
やるべきことは、その無力さを感じ切ることだったんだろうと今は思います。
誰しもそうだとは思いますが、
私は特に、傷つきたくないという思いが強く
敢えてそうならないよう、避けてきた気がします。
結局、敷かれたレールに乗って人生を歩んできたのも
自分で決めなくていい、責任を取らなくていい、
つまり傷つかなくていいというメリットがあったからなのかもしれません。
でも、人は一面だけで成り立っているわけではなく
優しい人にも冷たい面はあるし
いじわるな人でも、自分の家族には優しかったりするし
そんな様々な側面を自分の中に認める、みつける
ステキな面だけではなくネガティブな面も体験も
自分の中に存在を許すことが人生を豊かに厚みのあるものにしてくれるんじゃなかろうかと
今更ながら思うわけです。
自分の意志で選択して、結果傷ついたとしても
それは学びになります。
何かを体験して、その結果何を感じるか
それが人生の豊かさにつながるんじゃないかと思います。
けれど、私のように常に「意味のあること」「価値のあること」しか
したくないと無意識に思ってきた人間にとって
それ以外の基準で物事を選択することに慣れていないので
どうしたらいいのかわかりませんでした。
自分の心に常に従って物事を選択してきた人からしたら
「信じられない!」と思うでしょうが
そういう人間もいるのです…
けれども人生って常にやり直しやチャンス、
取り戻すことができるんだなと思ったのは
外側の問題が不本意な終わり方を迎える少し前から
私は現在開講しているAwakening Aromatherapy®を
学んでいたのです。
この講座はアロマセラピーの講座でありながら
一回一回のレッスンがセラピーになっているという、
学びながら自分の思考や意識が少しずつ変化していく
そんな講座でした。
学び始めた当初は、「え?どういうこと?」
「そんなのキレイごとでしょ」とか
「それは、本気で言ってるのかな」なんて思うことが
多々あって、首をかしげることも多かったです。
でも、人って、目の前の人がウソをついているとか
うわべだけで発言しているっていうことを本能的に感覚として
感じるものだと思うのですが
先生が言っていることは、私には理解できないことだけど
先生は本当にそう思っている、確信しているんだなということは
伝わってきました。
なので、その私にはまだ理解できないけど
そういうものなんだ、という法則(?のようなもの)やしくみというより
「在り方」といったものを
もっと知りたい、自分も理解したいと思っていました。
エッセンシャルオイルという自然の力を借りながら
少しずつ少しずつ、私は自分に課していた縛りや囚われ
「こうあるべき」といった鎖をゆるめて外していった気がします。
まだまだ道半ばですし
いわゆる自分はこじらせてきたんだと思っているので
こういう話を書こうと思ったことはなかったのですが
最近、私の文章を読んで「ひろみさんの感性がスキ」と言ってくださる人や
私のちょっとしたツッコミや質問がすごくいいと思ってたと言ってくださる人やら
奇特な方々に背中を押してもらい、
色々とブログという形でつづることで
「自分と向き合う」課程を私にナビゲートしてほしいから
Awakening Aromatherapy®や
チャクラヒーリングコースや
経営ゲームを受けてみたい
なんならキャンドルも欲しいと言ってくださる方に
ご縁ができたらいいなと思います。
生きてると色々あります。
でも、すべて学びだし、自分次第でギフトに変えていくことができます。
だから人生って素晴らしい☆彡